2003年3月3日、冗談のようなこの日、早期退職をした。その後タイへ「なんちゃって移住」、ホームページを作っていたが、かったるくなりブログへ移行。
2015年9月、タイ最後の地チェンマイに引っ越す、しかしチェンマイは田舎者にはあまりの都会で戸惑い中、やっぱり田舎の方がいいや。
2016年3月、12年数カ月住んだタイ国を離れ帰国、おとなしく日本に定住出来るのか(笑)

2017年4月26日水曜日

2017年4月

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26日 カンボジア・タイのチャリ旅終了、無事帰国。
チャリでの走行距離はカンボジア 383Km、タイ 260Km、合計 643Km、実際には町をウロウロしていたり、夕方走っていたりするのでもっと走っているのだけれど記録はとっていない。
タイに住んでいた頃はバイクでウロウロしていたのだが、チャリの半日分がバイクの一時間分、そう考えると炎天下汗ダラダラでチャリなんか馬鹿馬鹿しくて漕いでいられない。
25日 明日の帰国 を前にバンコクに帰って来ている、バンコクへの列車はハジャイに行った時の列車とは違い(16日)古い車両だった、お陰で冷房は程よく、蛍光灯も薄暗かったのは上出来、2時間近くの遅延も従来通り、そういえば水くれなかったなぁ、料金同じなのに。
バンコクは昔とは全く別の街になった様で、もう私のいる所ではなくなってしまったようだ、2017年末までに屋台を一掃と知事が言っているようだけど、無理でしょ、屋台が一掃されたら、私にとっては素通りするだけの街になってしまいそう。
話は代わって「タイ1都76県」、データ量が増えてファイル制限を超えてしまうので、思い切って2ファイルにした、今まで載せられなかった未訪問地も載せられる様になった、ついでに未訪問地一覧も表示させてみた、その結果まだまだ行きたい所が山程あるのがわかり、帰国してしまったのはシマッタか。
20日
本日でカンボジア・タイと走ったチャリの旅は終了、帰国日までのんびりと過ごす事にする。
19日 何度も来ている国境の町パダンベサール、特に何があるわけでもないのでハジャイに帰る事にする、昨日とは違い、朝早く出たので坂道もそう苦でもなくクリヤー。
18日 予定したお寺には行ったし、これと言って行く所もない、勢いでマレーシアに行ってやろうかとも考えたんだけど、2~3日マレーシアに行ってもしょうがない、以前訪問したがその後高僧の像が出来たらしいお寺と、無理して行くほどではないだろうと思われるお寺(?)が4号線近くにある、この二カ所に寄って国境の町パダンベサールに行く事にした、このあたりは何度もバイクで走っているので良く判っている、4号線からパダンベサールへの道がこんなに起伏があるとは自転車になってよく判った、なんてバイクは楽だったんだろうと思う、午後パダンベサールにヘロヘロになって到着。
17日 昨日は早く着いたので一休みしてから目的のお寺へ行こうと思っていたのに、ホテルにチェックインしたらその気も失せてしまい一日ごろごろとしていた。
そう毎日ごろごろしているのもと今朝は用意をしてお寺見物に出発、予定は二カ所、一つは以前訪問しているのだが、その後地獄が出来たお寺、もう一つはなぜだか象の像が沢山おいてあるお寺、で、行ってみて分かった、マレーシアの人がお寺に奉納したらしい、でも普通はそれらしき場所に置いてあるもんでこんな物置の前みたいな所には置かないだろ。
16日 昨日14:45、定時に出発、出発してすぐにタイ国鉄のペットボトルが配られる、写真は去年ノンカイから乗った一等寝台(本当だよ!)の時の物、サイズに差はあるんだけどね。
で、何で南行きの列車に乗っているかと言うと、本来何となく考えていたのは、プノンペンからシェムリアップ、ポイペトそしてタイへ入国、33号線でサラブリまで走ってチャリ終了、そこから列車でバンコクへって考えていた、でもプノンペンで、色々理由はあるんだけど、この計画は破棄、計画よりだいぶ早めにタイに入国しちゃったんで、帰国日までの時間を潰さなければならない、バンコクには居たくないので、どうしようかと考えていた所、北部、東北部、南部で新たな地獄寺が確認された、どうせならチャリで見に行きたい、一番興味を惹かれたのは北部なんだけど山・坂があるだろうから南部に決定、と言う訳で南部行きに乗ってる。
車両が新しいので綺麗、何となく広く感じる、以前と違い、物売りは入らせない、食堂車はあるんだけど(民間委託?)、実際には調理していない様子でレンジでチンしているらしい。
決定的にいけないのは日本製の時には遮光カーテンだったのに、薄い明るい色のカーテンで、調光もしないから上段の明るい事と言ったらない、ベッドサイドに付いている電気は不要だろ、今回夜行に乗るとは思ってもいなかったのでアイマスクを持って来なかったのは不覚だった、当然寒さ対策はしないと凍死するよ。
ハジャイ着6:35が6:10には到着、タイ国鉄どうしちゃった、大丈夫か。
15日 昨夜は遅くまで騒がれたんでは堪らないなと思っていたら、あっけなく終わった、都会と違って日が落ちたら真っ暗、街灯がないわけじゃないんだけど、役に立つほど明るくない、そんな暗闇の中で騒いでもって事らしい、良かったよかった。
乗った列車はいつもの様にホアランポン駅の手前でストップ、入れ替えなどの理由によるんだと思うが、駅を目の前にして長時間止められるのは面白くない、定時着は無理か?って事はなくて3分遅れで到着、タイでは定時着と言っていい。
14:45発ハジャイ行きの2等寝台を確保してクーポン食堂へ、以前南線には日本の中古車両が使われていたんだが、C国(?)製の真新しい車両、外見パット見はいいんだけどペコペコしていていかにも安っぽい、乗車口にトイレ・洗面所、一番奥にスーツケース置き場、配置が反対じゃない?ま、普通サイズの物は座席下に置けるから問題はないんだけどね。
14日 今日はこの方のブログにあった地獄寺に寄ってカビンブリへ、ここから列車でバンコクと考えていたんだけど駅前にホテルがあったので明日一番の列車でという事にする。
夕方、このホテルは完全に包囲されていて逃げ道はない、昼間はそうでもなかったので安心していたんだが、どうにかしないと晩飯抜きって事になりかねない、覚悟を決めて出て行くしかないな。
13日 今日はシソポンからタイ国境、国境を越えて列車でサケオまでを予定、国境には10時頃到着、出国のスタンプをもらうのにウロウロする、入国のスタンプをもらい、暇そうな係官が話掛けてくる、最近大阪に行った事を話したかったようだ、陸路入国は年2回でその後はビザが必要との事、イミグレを出た所で警官達が防水スマホケースを配っている、「それ頂戴」ってタイ語で言ったら「何人?」と訊く、「日本人」と答えたら「日本人だぞ~」と、ちょっと離れた所にいたテレビカメラを呼ぶ、そしてCH7のインタビュー、今日のニュースで全国ネットに流れたか?
12日 今日はシソポンまで走るだけ、途中寄る所もないし(多分)、昨日よりも距離が短いので少しは楽。
11日 今日は明るくなったら出発しようと、昨夜は早めに寝ようと思っていたのに、ホテルの近所でガンガンの音楽、プノンペンの空港からホテルまで自転車を漕ぎながら気が付いた、タイならソンクラン、カンボジアで何と呼ばれるかは知らないが「正月」だ、水鉄砲を売っているのを見て、こりゃタイと一緒だなと思う、カンボジアだからとその辺を考慮しなかったのは迂闊だったな、タイに住んでいた時には毎年マレーシアなどに避難していた、期間中引き籠っているのは構わないんだけど、訳の分からないカンボジアよりタイの方がマシかなと、タイに向かっている、タイ国境までおよそ150Km、午前中だけチャリチャリして3日でいい計算なんだけど、暑いからねぇ。
10日
今日は近場をウロウロとして午前中で観光は終了。
9日

シェムリアップに来て、遺跡に行かないって事になると何処に行けばいいんだ?
思い浮かぶ所もないのでトンレ・サップの湖畔にでも行って見ようとホテルを出る、そろそろかなと思うあたりから未舗装道路、大型の観光バスが次々に抜いて行き砂塵が酷い、トンレ・サップ湖周遊の船が出る所まで来たが湖は見えない、まだ先へ行く道路が見えるのでそちらに進んで行くと、制服を着た人に止められる、カンボジア人は通っているので外国人は不可って事らしい、国境でもなし、この先に何があるんだ? 帰りは目に付いたお寺などに寄りながらトロトロと走ってホテルに帰る、本日の予定は終了。
8日 朝早く出ようと思っていたんだけど8時頃になってしまった、今日は「一ノ瀬泰三の墓」に行く予定、ホテルから20Kmほど北にある、墓といっても遺骨は帰国しているので、彼が亡くなった地って事だね、墓参り後、近くの遺跡へ、遺跡巡りはしないんじゃないのか?って突っ込みはなしね、無料なんですよ、無料なんで行くにはちょっと大変、ぬかるんでいて地雷はないんだろうな、って考えちゃうような道を行かないといけない、そのぶん誰もいないんでゆっくり出来るんだけど。
あとは「戦争博物館」、通り道にホテルがあるので休憩してからとも考えたんだけど、一旦部屋に入ったら出られそうにないんで、部屋での休憩はなし、その代わりサトウキビジュースを何回か飲んで休憩、結局5ドル払って見る程ではないなというのが私の感想。
7日 朝 7時半のバスでシェムリアップに来た、ここにはタイに住んでいた時に来た事がある、その時に遺跡巡りをしたので今回は遺跡には行かない。
6日 朝のバスでプノンペンに戻って来た、同じバス会社なのに行きと帰りの値段が違う、間違った訳ではない、安い事はいい事だ、帰って来てすぐに明日のシェムリアップ行きのバスのチケットを手配した、色々考えた末、船旅はやめにした、ミニバンだと5時間、バスだと7時間らしい、ミニバンでは自転車の積み込みが難しそう(出来ない事はないと思うが)なのでエアコンバスにする、26000リエル(1ドル ⇒ 4000~4100リエル)。
プノンペンには昼前に到着したので、昼飯後休息してから少し市内を周ろうかと思ったのだが、暑さやらでその気にならず、この先大丈夫か?
5日
泊まったホテルのおやじが「バンブーブリッジ」に行ったか?と訊く、そんなのがあるのかとグーグルを見たら、島へ渡る橋らしい、竹で出来た橋なんてと思って行って見たら、何と凄い、車も渡っている、島の入り口で通行料を徴収しているお姉さんによると900mあるらしい、多分世界一長い竹の橋ではなかろうか?宣伝して観光資源にしたらいいと思う、下流に立派な橋を作っているみたいなので見るなら今のうちかな。
4日
プノンペンに着いてすぐにシェムリアップまで船が出ているか訊いてみた、乾季には運航していないみたいなんだけど、大丈夫そうなんで、ここからシェムリアップまで船の旅をして、そこからタイ国境まで走ってみようと考えていた、暑さに慣れるのを待ってから出発しようと思っていたんだけど、ここのゴチャゴチャの道路状況にうんざりして、ちょっと近郊に来てみた、運行表を見るとベトナムやタイにも行っている、カンポンチャムに行く事に、3時間程で到着、そこから自転車、遺跡を一つ見てから北のお寺を目指す、最後はとんでもない坂道、ヘロヘロになって夕方ホテルに帰る。
3日

暑さに慣れるのと、この暑さの中でどれくらい走れるのか?別に行く所もないので川岸を走ってみる、とんでもなく暑くてやになる、やっぱり無謀だったか(泣)夕方、マーケット周辺に行ってみる、以前と変わらずグチャグチャ。
2日 カンボジア時間の3時半、無事プノンペン着、アライバルビザ30ドル、チャリを受け取って無事入国、モバイルルーター用にシムを買って(10ドル)自転車を組み立ててプノンペン市内へ、10Km程走ってホテル着、夕方って事もあってそんなに暑くはない 。
1日 台湾を3週間ちかくチャリで走れたので、調子に乗って東南アジアもやってみようと明日プノンペンに行く、帰りはバンコクからなんで、何としてもバンコクに到着しないと 帰れない、しかし、なんちゃってチャリダーなので、プノンペンの街なかをチャリチャリしただけで 、チケットを変更して逃げ帰るかも。

スワナプーム空港

サムットプラカン、タイ
スワナプーム空港

2017年4月20日木曜日

2017年4月2日~26日

 

チャリ総走行距離  643Km ()はバス、鉄道等の公共交通機関
4月 2日   成田 ⇒ プノンペン 走行距離 10Km
   3日   プノンペン 走行距離 24Km
  4日   プノンペン ⇒ カンポンチャム 走行距離  (123Km)+61Km
  5日   カンポンチャム 走行距離 16Km
  6日   カンポンチャム ⇒ プノンペン 走行距離 (124Km)
  7日   プノンペン ⇒ シェムリアップ 走行距離 (321Km)+15Km
  8日   シェムリアップ 走行距離 55Km
  9日   シェムリアップ 走行距離 33Km
  10日   シェムリアップ 走行距離 13Km 
  11日   シェムリアップ ⇒ クララン 走行距離 58Km 
  12日   クララン ⇒ シソポン 走行距離 51Km
  13日   シソポン  タイ国境  サケオ 走行距離 (54Km)+56Km
  14日   サケオ ⇒ カビンブリ 走行距離 51Km
  15日   カビンブリ ⇒ バンコク (≒180Km)
  16日   バンコク ⇒ ハジャイ (≒950Km)
  17日   ハジャイ 走行距離 34Km
  18日   ハジャイ ⇒ パダンベサール 走行距離 65Km
  19日   パダンベサール ⇒ ハジャイ 走行距離 58Km
  20日   ハジャイ 走行距離 43Km
 

  チャリ終了
  26日   バンコク ⇒ 羽田

2017年4月20日

ハジャイ 走行距離 43Km
←19日

Wat Plakkla

ハジャイ、ソンクラー
Wat Plakkla

2017年4月19日水曜日

2017年4月14日金曜日