2003年3月3日、冗談のようなこの日、早期退職をした。その後タイへ「なんちゃって移住」、ホームページを作っていたが、かったるくなりブログへ移行。
2015年9月、タイ最後の地チェンマイに引っ越す、しかしチェンマイは田舎者にはあまりの都会で戸惑い中、やっぱり田舎の方がいいや。
2016年3月、12年数カ月住んだタイ国を離れ帰国、おとなしく日本に定住出来るのか(笑)

2011年12月31日土曜日

ピストル

ピストルって呼ぶより鉄砲、いやテッポーだろ
この写真はバンコクで撮った

タイでは皆さんご存知のように銃の所持が認められている、誰でもってわけじゃなくて、私のような風来坊には認められない、詳しくは知らないがタイ国籍を持っていれば問題ないと思うのだが、不法に持っているタイ人はかなりいる、と、思う、私の周りにもいるくらいだから、何でそうなるのか推測でしかないが、正規品じゃない、ってのが大きな理由だと思う、密輸だったり密造だったり、軍の倉庫からかっぱらってきたなんてのもあるんじゃないのか、だから登録できない、じゃ極秘で持ってるのかというとそうでもなくて、今度あいつの買うんだとか話をしていたりする、日本で、制限速度70Kmの所を75Kmで走っちゃったよ、くらいの感覚でしかない、多分。

ま、そんなだから何かあると日本よりピストルが出てくる確率は高いと思うから注意する事だね。

上の写真、両方ともアフガニスタンで買ったもの、手で持ってる、火打石のやつは3丁買ってきた、今では到底考えられないだろうがこいつらを手荷物でバンコクまで運んで来たんだ、70年代の初めに。
この写真の日付が88年だからかなりの間、バンコクにあったんだね、今は、色々差し障りがあるといけないんで不明としておくけど、当然日本にあるわけじゃないし、手元にもない。

もしかしたら火打石のやつ2丁は日本に入っているかも知れない、というのは、当時知り合った(最初に会ったのはオーストラリアなんだけど)日本人に日本に持って行ってもらったんだ、これがもし本物の骨董品なら持ち込めるんだけど、模造品でも没収で済むらしいとわかったからなんだ、そして持ち込めたら一丁は手数料としてもう一丁は実家に送ってくれるよう頼んだ、そしたらその後の連絡一切なし、実家にも送られてはいない。
きっと1億円程の価値があったんだろうね(笑)、そんで、こいつのことなんだけど、ちょっと苗字が珍しいのよ、今じゃどうだか知らないけど、我々の時代の教科書にはこいつのおじいちゃんか曾おじいちゃんか知らないけど、名前が載るくらいの人なのよ、苗字が同じなんで本人が言ってるだけかも知れないけどね。

おいXX、読んでたら連絡しろ! そのうちお前がバンコクで何してたかバラスぞ
、って人のこと言えんのか?

写真下、カブールのホテルの屋上だったと思う、お節介などっかの国も来てなくて表面的には平和な時だった、でも何かヤバイ事をしていたらしく、ベルトの所にピストルらしき物が見える、顔つきだって指名手配犯みたいだし、環境顔に出るよな、それに比べると右の写真、ほとんど顔は見えないんだけど平和でしょ。
72年アフガン ノンブアの山の中でインチキ銃を撃ってるの図

このノンブアの手作り銃、この辺の男は皆持ってるみたいだ、テレビ・ショッピングなら、熟練職人が一丁一丁魂を込め手作りした至高の一品、本日のみ火薬100g増量、お1人様一丁限りってなるんだけど、そんなもの微塵も感じさせないとんでも銃、火縄銃よりちょっと進化したって代物、先込の散弾で、オイオイ大丈夫か?ってやつなんだけど、結構使えてるんで感心するんだ、ま、弓矢、吹き矢よりはマシだな。

そうだ、ピストルって言うと、もう1人いたな、北海道だと思ったけど益Xか増Xって名前だった、こいつがルガーP08だったと思うんだけど、持ってて見せびらかしてたな、ある時、私の持ってるポラロイドカメラを貸してくれってんで貸したら質屋に入れちまって、いつまでもノラリクラリと返さない、そのうち、そいつも消えちまったんだけど、消されちゃったのかな。
益Xか増X、生きてたら連絡しろ、ポラロイドカメラの件はご破算にしてやるから!

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