「白い粉にご注意」が人気の投稿の上位にあるのに目が止まった、そんなに砂糖の話に人気が集まるのか?と思った、そして、日常よく見る粉じゃなくて、中々見ることの出来ない粉と勘違いしてクリックするんだ、と気が付いた、それを意図してタイトルを付けたわけじゃないんだけど、だましたようで申し訳ないので、ずばり「白い粉」ではないのだがその辺を。
日本での話ではない
白い粉、私は見た事もあり、使い方も知っている、しかし、期待を裏切るようだが使ったことはない、使うチャンス(?)はいくらでもあったのだが。
麻薬と初めて出会ったのはマレーシア、もう一昔どころか三っも四っも昔のことだ、後でわかったのだが「アヘン」だった、その時は知らずに吸ったのだが、後に日常的に吸っていたこともある、ハシシと呼ばれる大麻樹脂か乾燥大麻だ。
その昔(60年代終わりから70年代の初め頃)、バンコクにいた頃、ヤワラー(中華街)にまだアヘンを吸わせる、アヘン窟と呼ばれるような所があったらしい、何度か誘われたが、行ったことはない、そんな所へ行かなくても、当時のバンコクでは簡単に乾燥大麻が手にはいった、どういう扱いになっていたのか知らないが、大っぴらではないものの、極秘ってものでもなかった、当時、ホアランポン駅(バンコク中央駅)の周りに安宿が沢山あって、その辺に宿泊した日本人の多くが経験をしていると思う、私は、というと、日常的に吸っていた以後、タイでも麻薬、薬物の使用は今まで一切ない(胃腸薬、風邪薬は除く)、今、タイでは「ヤー・マー」だか「ヤー・バー」だかが蔓延して困っているらしい、よくわからないのだが、覚せい剤のようなものらしい、錠剤なので大麻やらと比べると手軽(?)でいいらしい、日本じゃないって開放感から、手を出しやすいかも知れないが、やめておいた方がいいョ、タイの塀の中は大変らしいから、塀の中って言えば、塀の中には入れてもらえなかったけど、警察署のやつには一晩入れてもらったよ、ヤナワーの警察署、蚊が多くて大変だったよ、その当時バンコクには日本の一流企業だけでなく、組の付く、一流○○団の駐在員もいましたね、って少年探偵団とか3年A組じゃないよ、今はどうなんでしょうか?
その団のタイでの業務内容がどのようなものか、よくは知らないけど、輸出業はやっていたろうと思う、当時ビルマ・タイ国境の山の中で「白い粉」が1Kg5US$、これをバンコクに持って来ると50US$になると聞いた、それを日本へ、多分そんなことをやっていたんだろう、もしかしたらピストルとかの武器なんかも扱っていたかも、簡単に買えたから。
昔だから大した繁華街じゃないんだけど、夜はお姉さん、昼はお兄さんが「ちょっとちょっと」って呼ぶのよ、何だよって行くと物陰でピストルやら手投げ弾出して買ってくれだよ、ピストルはいいけど手投げ弾買ってどうすんのよ、投げつけてやりたいやつならいるけど(笑)、プラスチック爆弾なんてのもあの頃初めて見た、その頃じゃないんだけど、スクンビットで買ってくれって言われたピストルは買いたかったなァ、携帯電話みたいな長方形で22の弾が2発しか入らないんだけど、米軍のパイロットが持ってるものだって言ってたな。
駐在員ってやったことないからわからないけど、上司とか人事とかから言われるんでしょ?
でも裁判所から言われて網走に行ってたって人がいて、「網走寒いよォ、行かない方がいいよォ」、って言ってた、どうしてるかな、あの人、家に行くと、暑いんでいつも上半身裸なんだけど、背中に大きな鯉がいるんだ、筋彫りでそれだけなのよ、そんで、あるとき訊いてみたら、本当は鯉の滝登りになるはずだったんだけど、ここまで彫ったところで、刺しちゃったんだって、刺したって針じゃないよ、そんで裁判所の命令ってことになったらしい、3年A組の生徒だった時なんだけど(本人談)、今じゃパスポートもビザも無理だろう。
そう言えば、最近ビビッタ事があったよ、スワナプームの空港でさ、チェックインも終わって、トイレに行ったのよ、そしたら奥に中東系の男が3人、1人を囲んで何か始めようとしてるのよ、他には誰もいないし、よく見たら注射器持ってる、ドキドキしちゃって、巻き込まれたらやだし、このまま出て行っちゃうのも変だし、横目でちらちらそいつら見ながら、用足ししてるふりしてたよ、そしたら、Tシャツ捲り上げてプスリ、なんだよインシュリンじゃねえか、ドッと汗が出たね。
昔はいろんなことがあったなぁ、まあ、私はそっちの世界には受け入れられなかったんで良かったんだけど、色々悲惨なの見たり聞いたりしたよ、まあ「ヤク」やるなとは言わないから「胃腸薬」ぐらいにしとけよ。
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