1日 : もうバンコクへのフライトの変更はしない、いつもならバンコクへ着いてから列車の切符など手配するのだが、今回はバンコクから飛行機で帰る事にした、ドンムアンが水没したため国内線もスワンナプームからの発着となった、真夜中に着くので、そのまま空港で朝一の飛行機を待てばホテル代もいらないし、って事で国内線を予約した。
この間は国鉄が南部への列車を停止、復旧はしたようだが、今度は南部へのバスターミナルが閉鎖されたらしい。
今回の洪水とは直接関係のない南部なのだが、物不足等これから色々と出て来るに違いない。
5日 : タイへ来週戻るので荷物を整理した、って言っても今回は持って帰る物もない、スーツケースの中に機内持ち込みが出来る小さなスーツケースを入れて行けるぐらい何もない、軽くていい。
タイに戻っても洪水やらでウロウロする事も出来そうにない、そこで本気でマレーシアを考えている、ネットで調べてもタイからマレーシアへバイクを持ち込む方法は見付からなかった、これは現地でどうにかしよう、計画と言う程のものはないが、ハジャイからマレーシアに入国、西海岸を走ってジョホール(ユーラシア最南端)、出来たらシンガポールも走る、そしてマレーシアの東海岸を北上してコタバルから半島を横断してタイへ戻る、ってのはどうだろうか、距離的にはトラン・バンコク往復+少々?だと思うので問題はないのだが、タイと違って言葉は全く解らないし、何度も行ってはいるがバイクで走った事はないのでその辺の事は判らない、これも現地で2~3日すれば慣れるだろう、事故さえなければいい。
それで、日本にいる間(ネットが早い)にマレーシアの事を調べてみた、案の定あまり期待(私が)出来る観光地等はない、しかし、各地に「日本人墓地」がある事が判った、「マレー半島慰霊の旅」決定、ガラガラのスーツケースに線香とワンカップを入れる。
これだけマレーシアには墓地があるのにタイでは聞かない、ネット検索しても出て来ない、マレーシア同様戦前からタイ各地に日本人がいたのに、個人の墓はあるが、バンコクの「日本人納骨堂」しかないのかな?
マレーシア・シンガポールの調べた所などを「まっぷ de たい」同様の「地図(まれーしあ+)」にしてみました。
8日 : 今朝無事トランに到着しました。
バンコク便ガラガラかと思いきやほぼ満席、西洋人が多く、バンコク経由でチェンマイやプーケットへ行くみたいだ、私も昨夜着いて、そのまま空港で夜を明かしたのでバンコク市内の様子はわからない、トランで昼食に外出したがバンコクナンバーが多い、かなりの人が避難の為里帰りしているのだろうと思う。
9日 : 昼飯を食べようと外へ出たらシャッターにヘビが絡み付いている、向かいのパートンコー屋の親父に言った
ら、棒を持って追い払いに来てくれた、へびの方も棒で叩かれてはたまらないと写真を撮る間もなく草むらに逃げ込んでしまった、7~80Cm程もある見た事のないへび、パートンコー屋の親父曰く「噛まれても痛いだけ」、痛いだけだってやだろ。
食後にロータスとロビンソンに行ってみた、バンコクの様に陳列棚が空っぽって事はなかったが、棚に隙間のある所はあった、今の所、私の生活にはなんら影響はなさそう。
しかし、在タイ日本大使館のホームページの「国際緊急援助隊上水道施設対応チームによるバンコクの水道水の水質の状況等に関する説明について」で「現時点では水道水は安全であるといってよい」って言っているんだが、色が付いていたりカビ臭いってのは勘弁でしょ、それらの説明の中に「水道管を通って来る間に土中の成分を含む汚水が混入する可能性」に付いて説明しているんだけど、「水道管内部には相当の水圧がかかっており」そのような事はないだろうって言ってる、この「相当の水圧」って、当然水を送るのだから圧をかけなきゃ送れない、その水圧が蛇口まであるのか?、都内のマンションなどに住んでいる人にはわからないだろうけど郊外の戸建の家には水道にポンプを付けていた、いたって言うのは過去(4~5年前)の事だから、今はどうなんだか判らないんだけど、朝晩皆が水を使う時間は出が悪い、そこでポンプを使って無理やり水を引っ張るみたいな事してた、だから「水道管内部には相当の水圧がかかっており」ってのは全く信用しない、もっとも今は井戸水生活なんで「土中の成分を含む汚水が混入する可能性」もろなんだけど。
福島原発の水飲んで見せた人もいるんだから国際緊急援助隊上水道施設対応チームの方にもお願いしてみたらどうかな。
10日 : タイ国政府観光庁のホームページによると今年はバンコクでのロイクラトン祭りは中止との事、この洪水騒ぎじゃ中止も無理ないけど、タイ人水辺に行く手間省けたとそこらでクラトン流すに違いない、ここトランでは今ひとつ盛り上がらない、って私が知らないだけでどこかで盛り上がっているのかな?
ニュースを読んでいたら「浸水地区では灯篭流さないで」ってあった、やめなさい、はい、となる人達でないのは当局がよくご存知。
11日 : 今日は珍しい1並びの日、記念に11時11分11秒に写真を撮っておいた。
次の1並びは100年後、世界がリセットされなければだけど。
昼食はきったねえ強気のクエチャップ、5バーツ値上がって40バーツになってた、だけどいつものおばさんじゃなくて息子(なのかな?)が作っていた。
晩飯、外に行くのが億劫なので、ご飯を炊いて食糧倉庫(プラスチックの箱だけど)にあったふりかけとインスタントの味噌汁、ここトランで売ってる「なんちゃってすし」からすれば本格派日本食、食べながらふりかけの袋を見てびっくり、なんと賞味期限2010.11.13って書いてある、もうほとんど食べ終わってるよ、いつ持って来たか記憶にないはずだ、一年も前とは思わなかったよ、ボーフラのいる甕(かめ)の水飲んでもお腹壊さなかった私だからこのくらい大丈夫。
昔、昔の話、雨水を甕に貯めてそれを飲料にしている所、大人が二人ぐらいで抱えるぐらいの甕が庭先にある、大きなものは大人の背丈より高い、その甕のそばには金属のコップが置いてある、蓋はあるんだけど、いい加減だから蚊が卵産んでボーフラになる、蓋を開けた振動でボーフラがびっくりして沈むんだけど完璧じゃない、そこでコップで甕を叩く、これで余程のボーフラじゃない限り汲み取る事はない。
12日 : ちょっとパクメンに行って来た、用事がある訳じゃない、一月程バイクに乗ってなかったので、と言うのが理由と言えば理由、パクメン桟橋の方は相変わらずだが、お店などがある方の海岸には、新しいお店が出来たり、ビーチ沿いの木の下にはテーブルや椅子がかなり並んでいた、土曜の午前中だからあまり人もいなかったが、午後から明日にかけては賑わいそうだ、浮き袋屋が多くなった。
午後GPS屋に行って「マレーシアの地図ない?」って訊いたら「あるよ」って返事、入れといてやるから夕方取に来いだと、マレーシアの地図ゲット、タイだからタダ(笑)、さて出発は?
14日 : 朝7時過ぎにトランを出てハジャイに来た、ホテルの親父に「バイクでマレーシアに行きたいんだけど、どうすりゃいいんだ?」って訊いたら、「国境に行って訊いてみな」だって、それでダンノックの国境まで行ってみた。
「タイーマレーシア 保険」って書いてある電話ボックスをちょいと大きくしたぐらいのボックスにいたイスラムのお姉さんに訊いたら、タイ国籍のバイクならマレーシアの保険に入ればそれでいいらしい、3ヶ月で600バーツ程、それより短いのはないらしい、半年だったら950バーツというので半年に、これで2月の「タイプーサム」や「ソンクラーン」もバイクでマレーシアへ避難出来る、あと必要なのはタイの車検証の英文訳、これはハジャイでないとだめらしい、これがないとマレーシアの車検証と言うかスティッカーがもらえない、500バーツでやってやるって言うのでお願いする、英文訳があれば無料だそうだ、夕方5、6時には出来てるだろうからって言うんだけど国境で4~5時間も待ってるのやだから、明日の朝受け取る事にした、問題があれば電話するって言ってたけど電話ないので出来ているんだろうと思う、しかし、お姉さんちっちゃな箱の中で一人で外資系のお仕事をしてるんだね(笑)、それともマレーシアから出張してるのか?。
さて、これで何事もなくマレーシアへ入れるのでしょうか?
注 :上記保険の件ですが、六ヶ月とお願いしたのですが、後日改めて見たら三ヶ月となっていました、あれほど親切に色々と教えてくれたイスラムのお姉さんがやる気で騙したのか、単に間違えたのかわかりませんが、その場でチェックするようにして下さい、2週間程したらここに戻って来るよって人を騙すのでしょうか?って言った私もここには戻らなかったのですが(笑)。
15日~28日 : 100cc de マレーシア
マレーシアに入国してからの地図、写真は「100cc de マレーシア」で作ります、写真などは後からになりそうだな。
28日 : 無事「100cc de マレーシア」終了しました、シンガポールは走れなかったけれど、まずまずでした、KLの日本人墓地も残してしまったので、いつの日か再度挑戦って事になるんだろうと思います、「100cc de マレーシア」写真など入れて再編集が大変だな。
この間は国鉄が南部への列車を停止、復旧はしたようだが、今度は南部へのバスターミナルが閉鎖されたらしい。
今回の洪水とは直接関係のない南部なのだが、物不足等これから色々と出て来るに違いない。
5日 : タイへ来週戻るので荷物を整理した、って言っても今回は持って帰る物もない、スーツケースの中に機内持ち込みが出来る小さなスーツケースを入れて行けるぐらい何もない、軽くていい。
タイに戻っても洪水やらでウロウロする事も出来そうにない、そこで本気でマレーシアを考えている、ネットで調べてもタイからマレーシアへバイクを持ち込む方法は見付からなかった、これは現地でどうにかしよう、計画と言う程のものはないが、ハジャイからマレーシアに入国、西海岸を走ってジョホール(ユーラシア最南端)、出来たらシンガポールも走る、そしてマレーシアの東海岸を北上してコタバルから半島を横断してタイへ戻る、ってのはどうだろうか、距離的にはトラン・バンコク往復+少々?だと思うので問題はないのだが、タイと違って言葉は全く解らないし、何度も行ってはいるがバイクで走った事はないのでその辺の事は判らない、これも現地で2~3日すれば慣れるだろう、事故さえなければいい。
それで、日本にいる間(ネットが早い)にマレーシアの事を調べてみた、案の定あまり期待(私が)出来る観光地等はない、しかし、各地に「日本人墓地」がある事が判った、「マレー半島慰霊の旅」決定、ガラガラのスーツケースに線香とワンカップを入れる。
これだけマレーシアには墓地があるのにタイでは聞かない、ネット検索しても出て来ない、マレーシア同様戦前からタイ各地に日本人がいたのに、個人の墓はあるが、バンコクの「日本人納骨堂」しかないのかな?
マレーシア・シンガポールの調べた所などを「まっぷ de たい」同様の「地図(まれーしあ+)」にしてみました。
8日 : 今朝無事トランに到着しました。
バンコク便ガラガラかと思いきやほぼ満席、西洋人が多く、バンコク経由でチェンマイやプーケットへ行くみたいだ、私も昨夜着いて、そのまま空港で夜を明かしたのでバンコク市内の様子はわからない、トランで昼食に外出したがバンコクナンバーが多い、かなりの人が避難の為里帰りしているのだろうと思う。
9日 : 昼飯を食べようと外へ出たらシャッターにヘビが絡み付いている、向かいのパートンコー屋の親父に言った
ら、棒を持って追い払いに来てくれた、へびの方も棒で叩かれてはたまらないと写真を撮る間もなく草むらに逃げ込んでしまった、7~80Cm程もある見た事のないへび、パートンコー屋の親父曰く「噛まれても痛いだけ」、痛いだけだってやだろ。
食後にロータスとロビンソンに行ってみた、バンコクの様に陳列棚が空っぽって事はなかったが、棚に隙間のある所はあった、今の所、私の生活にはなんら影響はなさそう。
しかし、在タイ日本大使館のホームページの「国際緊急援助隊上水道施設対応チームによるバンコクの水道水の水質の状況等に関する説明について」で「現時点では水道水は安全であるといってよい」って言っているんだが、色が付いていたりカビ臭いってのは勘弁でしょ、それらの説明の中に「水道管を通って来る間に土中の成分を含む汚水が混入する可能性」に付いて説明しているんだけど、「水道管内部には相当の水圧がかかっており」そのような事はないだろうって言ってる、この「相当の水圧」って、当然水を送るのだから圧をかけなきゃ送れない、その水圧が蛇口まであるのか?、都内のマンションなどに住んでいる人にはわからないだろうけど郊外の戸建の家には水道にポンプを付けていた、いたって言うのは過去(4~5年前)の事だから、今はどうなんだか判らないんだけど、朝晩皆が水を使う時間は出が悪い、そこでポンプを使って無理やり水を引っ張るみたいな事してた、だから「水道管内部には相当の水圧がかかっており」ってのは全く信用しない、もっとも今は井戸水生活なんで「土中の成分を含む汚水が混入する可能性」もろなんだけど。
福島原発の水飲んで見せた人もいるんだから国際緊急援助隊上水道施設対応チームの方にもお願いしてみたらどうかな。
10日 : タイ国政府観光庁のホームページによると今年はバンコクでのロイクラトン祭りは中止との事、この洪水騒ぎじゃ中止も無理ないけど、タイ人水辺に行く手間省けたとそこらでクラトン流すに違いない、ここトランでは今ひとつ盛り上がらない、って私が知らないだけでどこかで盛り上がっているのかな?
ニュースを読んでいたら「浸水地区では灯篭流さないで」ってあった、やめなさい、はい、となる人達でないのは当局がよくご存知。
11日 : 今日は珍しい1並びの日、記念に11時11分11秒に写真を撮っておいた。
次の1並びは100年後、世界がリセットされなければだけど。
昼食はきったねえ強気のクエチャップ、5バーツ値上がって40バーツになってた、だけどいつものおばさんじゃなくて息子(なのかな?)が作っていた。
晩飯、外に行くのが億劫なので、ご飯を炊いて食糧倉庫(プラスチックの箱だけど)にあったふりかけとインスタントの味噌汁、ここトランで売ってる「なんちゃってすし」からすれば本格派日本食、食べながらふりかけの袋を見てびっくり、なんと賞味期限2010.11.13って書いてある、もうほとんど食べ終わってるよ、いつ持って来たか記憶にないはずだ、一年も前とは思わなかったよ、ボーフラのいる甕(かめ)の水飲んでもお腹壊さなかった私だからこのくらい大丈夫。
昔、昔の話、雨水を甕に貯めてそれを飲料にしている所、大人が二人ぐらいで抱えるぐらいの甕が庭先にある、大きなものは大人の背丈より高い、その甕のそばには金属のコップが置いてある、蓋はあるんだけど、いい加減だから蚊が卵産んでボーフラになる、蓋を開けた振動でボーフラがびっくりして沈むんだけど完璧じゃない、そこでコップで甕を叩く、これで余程のボーフラじゃない限り汲み取る事はない。
12日 : ちょっとパクメンに行って来た、用事がある訳じゃない、一月程バイクに乗ってなかったので、と言うのが理由と言えば理由、パクメン桟橋の方は相変わらずだが、お店などがある方の海岸には、新しいお店が出来たり、ビーチ沿いの木の下にはテーブルや椅子がかなり並んでいた、土曜の午前中だからあまり人もいなかったが、午後から明日にかけては賑わいそうだ、浮き袋屋が多くなった。
午後GPS屋に行って「マレーシアの地図ない?」って訊いたら「あるよ」って返事、入れといてやるから夕方取に来いだと、マレーシアの地図ゲット、タイだからタダ(笑)、さて出発は?
14日 : 朝7時過ぎにトランを出てハジャイに来た、ホテルの親父に「バイクでマレーシアに行きたいんだけど、どうすりゃいいんだ?」って訊いたら、「国境に行って訊いてみな」だって、それでダンノックの国境まで行ってみた。
「タイーマレーシア 保険」って書いてある電話ボックスをちょいと大きくしたぐらいのボックスにいたイスラムのお姉さんに訊いたら、タイ国籍のバイクならマレーシアの保険に入ればそれでいいらしい、3ヶ月で600バーツ程、それより短いのはないらしい、半年だったら950バーツというので半年に、これで2月の「タイプーサム」や「ソンクラーン」もバイクでマレーシアへ避難出来る、あと必要なのはタイの車検証の英文訳、これはハジャイでないとだめらしい、これがないとマレーシアの車検証と言うかスティッカーがもらえない、500バーツでやってやるって言うのでお願いする、英文訳があれば無料だそうだ、夕方5、6時には出来てるだろうからって言うんだけど国境で4~5時間も待ってるのやだから、明日の朝受け取る事にした、問題があれば電話するって言ってたけど電話ないので出来ているんだろうと思う、しかし、お姉さんちっちゃな箱の中で一人で外資系のお仕事をしてるんだね(笑)、それともマレーシアから出張してるのか?。
さて、これで何事もなくマレーシアへ入れるのでしょうか?
注 :上記保険の件ですが、六ヶ月とお願いしたのですが、後日改めて見たら三ヶ月となっていました、あれほど親切に色々と教えてくれたイスラムのお姉さんがやる気で騙したのか、単に間違えたのかわかりませんが、その場でチェックするようにして下さい、2週間程したらここに戻って来るよって人を騙すのでしょうか?って言った私もここには戻らなかったのですが(笑)。
15日~28日 : 100cc de マレーシア
マレーシアに入国してからの地図、写真は「100cc de マレーシア」で作ります、写真などは後からになりそうだな。
28日 : 無事「100cc de マレーシア」終了しました、シンガポールは走れなかったけれど、まずまずでした、KLの日本人墓地も残してしまったので、いつの日か再度挑戦って事になるんだろうと思います、「100cc de マレーシア」写真など入れて再編集が大変だな。
29日 : 早朝にハジャイを出て午前中にはトランの我が家に帰りました、たいしたトラブルもなくマレーシアを走る事ができたのですが、滞在中の大半が雨だったのは残念です。
今回のデータ: 総走行距離 3380.8Km 使用ガソリン量 42.5L
マレーシア 2763.1Km 使用ガソリン量 33.6L ガソリン価格 1.9R/L タイ 617.7Km 使用ガソリン量 8.9L ガソリン価格 33B/L
ちなみに、1リンギットは約25円ですから33.6X1.9X25=1596、マレーシア一周の交通費1600円、安!、2700Kmって北海道から鹿児島じゃなかったっけ?
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