2003年3月3日、冗談のようなこの日、早期退職をした。その後タイへ「なんちゃって移住」、ホームページを作っていたが、かったるくなりブログへ移行。
2015年9月、タイ最後の地チェンマイに引っ越す、しかしチェンマイは田舎者にはあまりの都会で戸惑い中、やっぱり田舎の方がいいや。
2016年3月、12年数カ月住んだタイ国を離れ帰国、おとなしく日本に定住出来るのか(笑)
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2012年2月7日火曜日

100cc de マレーシア

2012年2月7日 ペナン(タイプーサム)

今日はタイプーサムの日なんだが、どこでどう見物したらいいのかわからない、とりあえずヒンドゥ寺院に行ってみる、ホテル近くの寺院では別にお祭りって感じじゃない、しょうかないのでぶらぶらと市場など通ってコムタの向こうにある寺院に行って見た、道を挟んで両側にあるんだが、左側は普段通りのようだ、そこを出たとたん向かいの寺院から楽器の音が、急いで行ってみると、やってましたよ、写真にビデオにと忙しい、釣り針様なもので小さな壺やみかんを吊るしている、痩せた背の高いのは背中にロープ付きの鈎針、そこで用意が終わったのか全員で寺院を一回りして外へ、この一団と一緒に行けば良さそうなので付いて行く、途中そんな人達が合流してどこかへ向かってるんだけど、暑いのと同じような人達ばかりなのでやんなっちゃって引き返す、この先何があるのかわからない、夜には寺院で何かあるらしいのだがこれもパス。
「タイプーサム」の写真は地図の二つ並んだ寺院から左の赤い噴出しの間で撮ったもの。
昔シンガポールで見たのは、鈎針でみかんなんかを吊るしているのは同じだけど、担いでいる飾りも鈎針で支えていたように記憶しているんだが、違ったのかな、過激なので本国(インド)では禁止って言われているけど、タイの「キンチェー」の方が過激じゃないのか?、去年のトランでは規制されたと言っていたが。

2012年2月6日月曜日

100cc de マレーシア

2012年2月6日 タイピン ⇒ ペナン 120.3Km

今日は100Kmほどなので夜が明けてからホテルを出る、ぼーっとして運転していたもんで、曲がるところを曲がらずちょっと遠回りをしてしまった、ペナンに入ってホテルに行く前にペナン島の南にある「戦争博物館」へ行ってみる、ペイント弾なんかで戦争ごっこなんかも出来るらしい、地図なんかも掲示してあったがよくわからない、入場料が35リンギット、そんだけ払う価値あるのか?入らなかったんでわからない。
その後チュリア通りのホテルへ、途中のコムタ前が凄い混雑、ヤシの実割りをしているらしい、ホテルにチェックインしてコムタへ行く。

2012年2月5日日曜日

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2012年2月5日 シャーアラム ⇒ タイピン 280.0Km

朝、7時にホテルを出て北上、一日早くシンガポールを切り上げたので今日はタイピンに泊まり、明日ペナンに入る事にする、南国とはいえまだ陽も昇らないので寒い、7時半頃に日の出、8時過ぎに少しは暖かくなる、9時頃からやけに車が多くなる、こんなに車が走っているのをみるのは始めて、日曜日って事だけではなさそうだ、パーキングにも沢山の車が止まっているし、そのうち徐々に減っていってイポー近くではいつもと同じくらいの交通量に、皆どこにいったんだろう?
今日はたらたらと走って来たんだけど、昼前にはタイピン到着、早速「北京酒店」にチェックイン、ここは昔、日本軍の憲兵隊本部だったらしい、入り口で新聞を読んでいたおじさんがそんな話をしてくれた、タイピンにはマレーシアで最初の動物園だとか刑務所だとかそんなのがえらくあるらしい、街を見ても古そうな建物が沢山ある、それだけ古い街なんだね。
そうそう車が多かったのは祭日が続くから、今日がマレー人の祭日、明日は中国人でその次はインド人だそうだ、詳しい事は聞かなかったけど、 多民族ってのも面白そうだな。

2012年2月4日土曜日

100cc de マレーシア

2012年2月4日 ジョホールバル ⇒ シャーアラム 386.2Km

朝、薄暗いうちにホテルを出て、って随分早そうだけど7時少し前、昔イギリスがこのあたりで威張っていた頃、香港と時差がないようにしたとかって聞いたような気がする、香港はいいけどマレーシアではちょっとってな感じだな、まあそんなんで7時でもちょっと暗い、そんな中をジョホールから北上する、予定では本日もシンガポールなんだけど、連日雨ばっかりでやる気が失せてしまったのです、で、今日はKLの隣のシャーアラムに来たのですが、ブルーモスクがあるという事しかわかりません、とりあえずホテルにチェックインして、モスクへ行ってみました、中東のモスクを見た事のある私には別段どおって事のないモスクでした。

2012年2月3日金曜日

100cc de マレーシア

2012年2月2・3日 ジョホールバル ⇔ シンガポール 18.8Km

シンガポール往復。

2012年2月1日水曜日

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2012年2月1日 クアラルンプール ⇒ ジョホールバル 331.4Km

朝7時にホテルの朝食を食べてチェックアウト、ジョホールに向けて出発、ついこの間通った道だし、昨日と違って晴れ、走っていても暑い、高速道路なのでタイを走る時よりも早い、と言っても70から80Km程、それでも遅くてマレーシア人に次々と抜かされて行く、早く走ってもいいのだが、視野が狭まって周りを見ている余裕がなくなるのでこの程度、タイじゃきょろきょろしながら走るので60Kmぐらいがいいとこ、でもマレーシア人早いよ、片手運転のお姉ちゃんにまで抜かされて行く。
1時半ジョホール到着、シャワーを浴びて、シンガポールに「オートパス」の申請に行く。

2012年1月31日火曜日

100cc de マレーシア

2012年1月31日 ペナン ⇒ クアラルンプール 298.8Km

朝7時ホテルをチェックアウト、フェリー乗り場に向かう、半袖だと寒いので長袖を着る、順調に行けば、どうにかKLに午前中に着けると予想していたのだがKLまで150Kmの標識を過ぎたあたりから雨、又KLは雨になってしまうのか心配したがあと50Kmの所から小雨に、前回もKLに入るのに迷ってしまったが、今回も同じGPSを常時見ていられないので迷いに迷った、どうにか目的のホテルに辿り着いた時にはお昼もとっくに過ぎていた、KLには行きたい所は沢山あるのだが、今回は日本人墓地のみ、ホテルからバイクで10分ほどで到着、呼び鈴を押して門を開けてもらう。

2012年1月30日月曜日

100cc de マレーシア

2012年1月30日 パダンベサール ⇒ ペナン 172.1Km

マレーシア入国パダンベサールに11時半到着、すぐにタイ出国、とりあえずマレーシアのイミグレを通過して、マレーシアの車検証(?)はどこで発行してくれるのかそこにいたイミグレのお姉さんに尋ねてみた、親切に建物まで案内してくれる、そこでタイの車検証の英文訳やらを提出、書類に問題はなかったのだが、ナンバーの英語表記でのスティッカーが必要との事、作成出来るお店を教えてもらい行ってみる、自動車のは出来るがバイクのは出来ないと言われる、自動車用のでは大きくて貼れる所がない、事務所に戻ってその事を伝えるとタイ側にもあるからそっちへ行ってみろと言う、パスポートのスタンプが無駄に増えるだけじゃん、どうにかなりませんか?お代官様と泣きを入れる、すったもんだの末、ペナンで必ず作る約束が出来るかって言うから、間違い御座いませんでOK、だって前回そんな物作れなんて言われなかったし、今回だって黙って通れば通れちゃったんだし、ペナンで一生懸命探したんだけどスティッカー作る所が見付からなかったという事で勘弁な。噴出しあたりの地図を拡大するとスティッカーを求めてウロウロしたのが良くわかります、暑かった。
ここでの提出書類は
・タイの車検証
・タイの車検証の英文訳
・パスポートの顔写真ページ
・免許証
・マレーシアの保険
以上コピーで各一部、それと車体にアルファベットでのナンバースティッカーを貼る、これが正規手続きらしい(笑)。

2011年11月28日月曜日

100cc de マレーシア 日本人墓地巡り

2011年11月15日~28日 走行距離 2,763Km 使用ガソリン量 44.2L
マレーシア走行全ルート、重いので表示されるまでちょっと時間がかかるかも。
ソンクラー県サダオの国境から入国し西海岸を南下、ジョホールから東海岸を北上、コタバルより半島を横断しペナン、そしてタイのサトゥン県へ抜けました、その間タイのタクバイ、ベトンへ入国しました。


マレーシアへのバイク(タイ国籍)の持ち込み
マレーシアの保険に加入(国境に代理店がある)。
タイの車検証の英文訳(陸運局で申請)
マレーシアで有効な免許証

マレーシアは以上の書類があればOK、シンガポールは以上の書類やらのコピーを国境のLTAという所に提出して「オートカード」を発行してもらう。

マレーシアでの給油
基本はセルフでの給油、給油機にバイクを止めて料金支払い窓口へ行き、ノズル番号と給油量を伝える、私の場合はいつも満タンなので、その旨を伝え、デポジットとして5リンギットか10リンギット札を渡す、給油後窓口へ行って清算する、一番最初に判らなかったので丁度バイクに給油し終わったお姉さんに聞いたら親切に教えてくれた、ついでに私の懐事情も知っていたとみえ、95と97(オクタン価?)があるけど安い95でいいんじゃないのって言うんで以後95ばかり入れた。

マレーシアの道路
タイと同様、西海岸には有料道路(高速?)があり、バイクは無料、料金所脇にバイク専用道路があって料金所を迂回出来るようになっている。

15日 ダンノック(タイ) ⇒ アロースター(マレーシア) 77.8Km 22日 ジョホールバル ⇔ シンガポール
16日 アロースター ⇒ ペナン 157.3Km 23日 ジョホールバル ⇒ クアンタン 354.7Km
17日 ペナン ⇒ イポー 206.3Km 24日 クアンタン ⇒ コタバル 374.5Km
18日 イポー ⇒ マラッカ 378.5Km 25日 コタバル ⇔ タクバイ(タイ) 75.5Km
19日 マラッカ 56.6Km 26日 コタバル ⇒ ベトン(タイ) 335.3Km
20日 マラッカ ⇒ ポンティアン ⇔ ジョホールバル 335.8Km 27日 ベトン(タイ) ⇒ ペナン 110.7Km
21日 ポンティアン ⇒ ジョホールバル 148.1Km 28日 ペナン ⇒ ハジャイ(タイ) 287.2Km

100cc de マレーシア

2011年11月28日 ペナン ⇒ ハジャイ(タイ) 287.2Km(104.5Kmはタイ)

6時半にホテルをチェックアウト、まだ薄暗い中フェリー乗り場へ向かう、まだ朝早いせいかがらがら、アロースターからペナンに来た時の道を戻る、いくらも走らないうちすごい霧、寒いのでカッパを着る、霧のため道を間違ったらしく一般道に出てしまう、とりあえず、アロースターとの矢印に従って走り、有料道路に復帰、本日でマレーシアともお別れ、この間は東海岸のタクバイ国境を始めて越えたし、今回は西海岸のワンプラチャン国境を超えようと思っている、タイ国側には来た事があるのだが超えた事はない、今回何回か国境をバイクで超えたんだけど一度もバイクに関して尋ねられた事も書類の提出などもなかった、マレーシアの保険にも入らずそのまま知らん振りしてマレーシアに入ってしまっても今回の旅だったら問題もなかった、シンガポールも知らん振りして入っちまえば良かったのか?って事もないと思うんだが。まあ無事タイ国に帰ってこれた事だし今日はサトゥンかハジャイに泊まるかトランまで帰るか?そんな事を考えながら走っていたら物凄い雨、ハジャイに泊まる事にする、無事「100cc de マレーシア」終了、この国境を越えた事で、私の知る限りのタイ・マレーシア国境全制覇、と思ったんだけどランカウィ・サトゥンってのがあった、島は物価が高いので誰か連れて行ってくれる人でも現れない限りランカウィには行けそうにない(泣)、その後クランタン州にもう一箇所ある事がわかり、今の所全部で9箇所みたいだ。
国境付近ピンが重なっているので地図を拡大して下さい。
終わってみれば何て事もなかったマレーシア・バイクの旅、慣れないマレーシアで日程の大半が雨という事もあり、事前に計画した所の半分も行けなかったのが残念、目的がマレーシアを走る事だったので◎、しかし残した所やシンガポールも走りたい、いつの日かもう一度だな。

2011年11月27日日曜日

100cc de マレーシア

2011年11月27日 ベトン(タイ) ⇒ ペナン 110.7Km(7.1Kmはタイで走行)

6時半にホテルをチェックアウト、マレー時間では7時半、タイ国一大きなポストの前でWave君記念撮影、その後国境に向かう、本日はペナンなので楽勝、くもりで雨は降りそうにないのが助かる、バターワース手前で来た時の道と交差、マレーシア一周完了、今回はフェリーでペナンへ、2リンギット、11時頃ホテルへチェックイン、シャワーを浴びて、昼飯、その後、暑いので部屋でだらだらと過ごす。

2011年11月26日土曜日

100cc de マレーシア

2011年11月26日 コタバル ⇒ ベトン(タイ) 335.3Km(11.4Kmはタイで走行)

7時にホテルをチェックアウト、当初の計画ではタイとの国境沿いにペナンに行くつもりだったが、昨日のタクバイに味をしめ(笑)、ベトン(ヤラー県)へ入る事にする、土曜日だしマレーシア人で混むベトンも見てみたいから、小雨の中スンガイコーロク国境へ向かう、冠水がだんだん酷くなり、もうすぐ国境という所では道路も冠水、国境ゲート横を左折して西へ進む道路も冠水、どうしたものかと止まっていると、おじさんが話しかけてくる、ゲリックへ行きたいんだがというと、ここから西には行けないとの事、この先は胸あたりまでの冠水だそうだ、こうなると国境沿いの道は諦めるしかない、ずっと南にさがって4号線を行く事にする、それでもダメならもっともっと南に下がるほかないだろう、地図もないので適当に南に下がる、それでもどうにか4号線を見付ける事が出来た、遅い昼飯になるかも知れないがベトンで昼飯と思っていたのが、とうとう昼飯抜きでベトンに到着、かなり遠回りになったようだが「100cc de タイ」にもう一県追加、これでタイ全県走破の可能性が出て来た。

2011年11月25日金曜日

100cc de マレーシア

2011年11月25日 コタバル ⇔ タクバイ(タイ) 75.5Km(12.2Kmはタイで走行)

8時頃コタバル周辺のタイ寺などを巡るため出て行くがすぐに雨が降り出す、GPSが使えないのでお寺巡りは出来そうにない、しばしバス停で思案、ここのタクバイ国境は行った事がないので行ってみる事にする、国境の名称も知らないので、そこらで「タイランド、タイランド」と訊きながら到着、イミグレに国境の超え方を尋ねたら船だと言う、バイクもOKだと言うんで、即タイ行き決定(笑)、
桟橋へ行って出国の手続きを済ませフェリーへ、もう車で一杯、最後尾に乗ったんだけど落ちないだろうな、数分でタイ到着、イミグレがどこ行くんだって言うから「昼飯食いに来た、食ったら帰る」って言ったら笑ってた、さて、大使館があんまりお勧めしませんと言ってるナラチワート県、せっかくだからちょっとそこら走り回って「100cc de タイ」にしちゃう、これでもう一県追加、文句ある?(笑)、イミグレ出て東の海岸沿いを行くと、イスラムの墓地で棺おけを埋葬しようとしている、これ銃撃とかで死んじゃったんじゃないよな?、桟橋の所に装甲車・軍車両と武装した兵隊達がいたけど。
早いとこ昼飯食って帰ろう、帰りのイミグレでは「旨かったか?」「旨かったよ、晩飯も来るかも知れない」って帰って来た、この頃、雨もあがって青空、タイのお寺などに寄りながら帰って来たんだけど一寺冠水の為行く事が出来なかった、タイの洪水よりましなのかも知れないがかなり道路脇の家々が冠水していた。

2011年11月24日木曜日

100cc de マレーシア

2011年11月24日 クアンタン ⇒ コタバル 374.5Km

朝7時にホテルをチェックアウト、パラパラと雨が降っている、豪雨、小雨を繰り返しながらトレガンヌ直前まで降り続く、無事日本人墓地に到着、3人の職人らしき人達が何かやっている、どうも塀か垣根のようなものを作るらしい、お墓はあまり手入れはされていなそうで草が伸びていた、また小雨が降って来たのでコタバルへ向け出発、コタバルまで雨、おかげで到着5時半過ぎ、適当なホテルにチェックイン、この所毎日雨中走行、写真も撮れないので寄り道もせず。
日本人墓地近くに「抗日碑」があるのですがピンが重なってしまっています、地図をかなり拡大しないと出てきません。

2011年11月23日水曜日

100cc de マレーシア

2011年11月23日 ジョホールバル ⇒ クアンタン 354.7Km

朝7時にホテルをチェックアウト、昨夜、帰りのルートで散々迷った、クアラルンプールの日本人墓地を訪問してから東海岸に出るか、そうせずに東海岸を北上するか、結局、ここからメルシンを通って北上する事にした、KLはそのうち来れるだろう、東海岸沿いの道は西と違い一般道を走る、やはり有料道路(って言ってもバイクはタダだけど)と違い穴ぼこやらがある、でも郊外(ほとんどだけど)に出てしまえばそんなに変わらない、有料道路ではほとんど見なかった、動物の轢死体がある、タイだと大方犬と蛇なんだけど、今日のは犬はなかったけど、オオトカゲ、さる、鳥、ねずみ(多分)、その他小動物とタイでは見た事もない轢死体が多かった、さるはタイでも沢山いるけど、道路の周辺をウロウロしてるのって見た事ない、まあそんなさるやら見ながら走っていたら前輪が揺さぶられる、パンクか? いくらか空気は抜けているけどペチャンコになってるわけでもない、ちょっと走って行くと小さな町、車のタイヤ売ってる店の前のあんちゃんにどこで空気入れられる?って訊いたら、この先のスタンドで入れられるらしい、マレーシアでは給油もセルフならエアーもセルフ、ボタンなんかいくつか付いた機械でどうやるのかわからない、給油所のあんちゃんにどうやるんだ?って言ったら、やってくれたんだけど空気が抜けちゃってだめ、バルブか? タイヤもペチャンコになっちゃったし、近くにバイク屋があるって言うので押して行く。
親父が出て来て何か言うんだけどわからない、どうせパンクの修理か?とか言ってるんだろうから、そうだそうだ早いとこやってくれって日本語、親父すぐに了解して作業に掛かるんだけど、前輪を外し始める、タイでならチューブを引っ張り出して、パンクなら修理、チューブの交換という段階で車輪を外しに掛かるってのが手順なんだけど、ところがチューブを取り出してみるとチューブと空気を入れる金具の部分が外れちゃってる、何でチューブ交換しなきゃなんないってわかったんだ? それとも車輪を外してやるのがマレーシア式なのか?
修理代チューブ込みで15R、タイの約2倍、ついでにオイルも交換、18Rでこれもタイの2倍以上、その他の事などもやってもらいかなり時間をロスするがメルシンまで快調、メルシンで給油していたら雨、たいした降りではなかったんだけど寒いのでカッパを着る、そのうち豪雨、バス停に非難して休憩、小雨にはなったもののクアンタンまで降り続く、目に付いたホテルにチェックインし近くのショッピングセンターで夕飯。

2011年11月22日火曜日

100cc de マレーシア

2011年11月22日 ジョホールバル ⇔ シンガポール

朝、8時過ぎにホテルを出てシンガポールに入国、MRTでオーチャードへ、9時頃タイ大使館へ到着、車検証の英文翻訳はやらないとの事、民間の翻訳会社へ行けと愛想も素っ気もないおばさんだった、タイのいやな役人の典型、って役人かどうかは知らないけど、よくわからないシンガポールでそんな事するのも面倒なので今回は止めにする、でも折角ここまで来たのだから日本人墓地だけでもお参り出来ないものかと思ったのだが、歩いて行く事を考えていなかったのでどうしたら良いかわからない、GPSで墓地近くの交通機関を調べてみたらMRTの駅がある、距離はわからないんだけど歩けない距離でもなさそうなので行く事にした。
「二葉亭四迷」の碑は有名なので知っていたが、調べている時に「音吉」ってのが出て来た、それでその音吉を調べてみたら、波乱万丈な人生を送った人で、って送らざるを得なかったと言うべきかな、興味のある人はググッてみると面白いよ、昔は「ジョン万次郎」とか沢山いたみたいだ。
日本人墓地からはまたMRTとバスを乗り継いでジョホールに戻って来た、明日はジョホールを離れようと思う、と言う事でシンガポールは走らなかったのだけれど、書類がそろえばバイクの持ち込みは可。

私のような場合の必要書類とコピー
パスポートの顔写真のページ
シンガポールで通用する運転免許証(私の場合はタイの免許証、日本の国際免許でも可)のコピー
マレーシア入国時に作成した保険証のコピー
マレーシア入国時に作成した車検証(?)のコピー
タイの車検証のコピー
タイの車検証の英文訳

以上の書類を持参しマレーシアを出国する、シンガポールに入る手前にLTA(何の略か聞き忘れた)というオフィスって言うよりカウンターがあるので揃えた書類を提出、「オートカード(キャッシュカードの様な磁気カード)」を受け取ればそれでOK、お金払うんだけど金額聞くのも忘れた、シンガポールに入国していないからわからないんだけど、タイからマレーシアに入った時には、バイク専用レーンがあってそこを進んで行くと、ドライブスルーみたいな窓口があって、バイクに乗ったまま入国手続きをした、多分シンガポールも同様だと思う。
シンガポールは走らなかったのですが地図は載せておきます、地図上の直線は移動の為の乗り物の中だったりでGPSの電波が受けられなかった為です、竹コプターを使ったわけではありません。

2011年11月21日月曜日

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2011年11月21日 ポンティアン ⇒ ジョホールバル 148.1Km

いよいよユーラシア大陸最南端の地(タンジュンピアイ)へ出発です、ちょっとずれたものの無事到着、入場料いくら?ってお姉さんに聞いたら、おいくつですか?だと、年齢で入場料が違うらしい、私は5リンギットと半額だそう、マングローブの林の中の板張りの道をかなり行くと海に張り出した桟橋の様な所に「最南端の碑」がありました。
これでマレー半島100%縦断成功、その後ジョホールに向かう、11時頃ホテルにチェックイン、すぐに日本人会へ行き、鍵を借りて日本人墓地へ向かう、道路沿いにあってすぐにわかった。
午後シンガポールのカスタムに行くため国境へ、バイクで行くのではないのでマレーシアのイミグレの係官に、バイクで入国したんだけど徒歩で出国してもいいのか?って尋ねたんだけど、問題ないって返事、私はどうも腑に落ちないのでしつこいくらい訊いたんだけど、問題ないらしい、事実問題なくシンガポールに行って、またマレーシアに戻って来た、シンガポールに入ってすぐにカスタムに行ってバイクの持ち込みに関して尋ねてみた、丁度バイクでタイに行った事がある若い係官で色々親切に教えてもらった、やはり車検証の英文訳が必要との事、その他の書類は持ってる書類のコピーでいいみたいだ、英文訳ってタイ大使館で発行してくれるのか? 明日シンガポールのタイ大使館へ行ってみようと思う。

2011年11月20日日曜日

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2011年11月20日 マラッカ ⇒ ポンティアン ⇔ ジョホールバル 335.8Km

今日は日曜日、朝7時にホテルを出て南下、ポンティアンというジョホールに近い海岸の街へ行く、別にこの街に興味があるわけではなく、明日朝にタンジュンピアイというユーラシア大陸最南端に寄ってジョホールに早く着きたいというだけの理由、全く何もないと思われる街なのにホテルが高い、観光客が来るのかな?
ジョホールへ往復出来そうなんでちょっと行ってみる事にする、数年前に来た時とは全く変わっているようだ、帰りは豪雨の中トロトロと走ったんで帰ってきたのは6時頃、これでマレー半島縦断はOKでしょう、さて、おまけのシンガポールは走れるのか?。

2011年11月19日土曜日

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2011年11月19日 マラッカ 56.6Km

朝5時半に目が覚める、やる事ないのでネット、今日の予定を考える、日本人墓地へ行けばあとは何度も来ているマラッカなのであまり行く所はなさそう。
8時前に出て行く、宿から5Km程らしい、GPSに従って行くが目的地到着と言われてもそれらしき場所ではない、確実な場所がわからなかったので近くであろうと思われる所をGPSに入力しておいたから、その周りをぐるぐると回っていたらありました、鍵がかかっていたので向かいの家の人に聞いたら墓地の隣の人が管理しているらしい、残念ながら管理人不在で入る事は出来ませんでした、一旦ホテルに帰りシャワーを浴びる、マレーシアってタイより暑くないか?

2011年11月18日金曜日

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2011年11月18日 イポー ⇒ マラッカ 378.5Km

朝6時前に目が覚めたんだけど外は真っ暗、7時頃までネット、その後クアラルンプール(KL)に向け出発、有料道路なんでタイと比べたらかわいそうなんだがタイより良い、路肩にあまり穴ぼこがない、ガソリンもタイの半分まではいかないがそんな感じ、KLに入る前も入ってからも道路間違ってばかり、こんなに入り組んでいるとGPS持っていても常時見ていられないのと音声が聞き取れないのとであまり役に立たない、チャイナタウンあたりの安宿にしようと思っていたのだけれど、バイクでウロウロ探すような所じゃない、そうこうしているうち雨が降り出す、こうなるとGPSも使えないので雨宿り、バイクがあるんだから市内じゃなくてもいいのだけれどあてはないし、雨も止みそうにないのでKLはパスしてマラッカに行く事にする、GPSが頼りなのに雨の中は無理、道を尋ね尋ね行くんだけど迷いっぱなし、そのうちどうにかマラッカという表示発見、やれやれ。
イポーを出た時から曇り空、KLからマラッカまでの半分以上が雨中の走行、雨は止んでも寒いのでカッパを着たままマラッカ到着17時半、疲れた。